難問に挑む

9月に入り、少し温度が下がったせいでしょうか
なんとなく秋の気配を感じます

さて本日は、ワールドニュースを見ながら考えたことを
お伝えします

最近、出勤前にBS放送で各国のニュース番組をよく見ます。
米、英、韓、独、仏、ロシア、スペイン、中国、ベトナム

キャスターや報道の様子、表情などを見ているだけで、
各国の雰囲気が伝わってきます
同じ出来事でも、国により伝え方が微妙に違ったり…

このところ世界の関心を集め、連日報道されているのが難民問題。
シリアをはじめとする戦争状態の国から、連日多数の難民が
命がけでヨーロッパへ。

幸運にもスペイン、ギリシャなどにたどりついた人たちは、
経済力のあるドイツ、英国などをめざしますが、
話は簡単ではありません

最強国ドイツであっても、無尽蔵に難民を受け入れられるわけ
ではなく、国内には受け入れに抵抗する勢力もあります
自国民さえ支えきれないギリシャをはじめとする余力の
乏しい国ではなおさらです

経済的、政治的判断では制限したい。
一方で人道的見地、キリスト教の精神に照らせば…
このような難問には、誰にも明らかな解などありません。

0か100か、ではなく、その間で考えられうる最良の判断をする
様々な国内事情を抱える国同士が、辛抱強く話し合い、
短期的には何を、中長期的には何を分担し、どう実行するかを決めていく

難問はこれだけではありません
貧困、気候変動、原子力などエネルギー問題、核拡散…
子供たちが向き合う21世紀は、難問山積の時代でもあります

シリア難民が沖縄や九州に漂着することはないかもしれません
しかし、アジア各国で同様の事態が生じ、多数のアジア難民が日本に
押し寄せる可能性は、誰も否定できません

このような難問に立ち向かう思考力、判断力、想像力や構想力、
対処に必要な対話力や協働性、勇気や利他の精神をいかに培うか。

もちろん思考力を養うためには、思考を重ねることが不可欠。
だから子供たちに思考を求める。わかります。
でも、「思考せよ」と言えば子供たちは本気で思考するでしょうか?

思考し、対話する子供たちを育てるには、
難問に挑み、四苦八苦して考え、対話する大人の姿を見せる
考えることの意義を我々が身をもって示すこと

明日の朝もワールドニュースを見て、足りないまでも、
難問に挑んでみようと思います