新しい学校像

皆さまはお盆休み、いかが過ごしでしょうか

私は数日夏休みをいただくことにし、
外出中の家族にかわって猫のめんどうをみながら、
たまの読書や考えごとをしました

いつも学校に関わる話題、相談に明け暮れる毎日ですが、
目の前の課題解決に追われるばかりで、全体像をふまえ、
大きく思考する余裕がない

でも日頃は、そのことを自覚することもなく、日々が
過ぎていく
3日間、猫と留守番をしていて、それに気づきました
今回は、改めて「学校」について考えたことです

日本の教育が転換期にあることは、皆様ご承知の通り
です。大学入試改革、新学習指導要領…

一方で、それを提供する「学校」そのものについての
議論は、多忙な教師の働き方を改善するために…
程度で、従来からの「学校」が変わる気配はありません

むしろ、私立高校の無償化(東京)、私立大学の無償化検討の
動きからは、既存の「学校」はそのまま変わらないことを
前提としているようにも思え、違和感を覚えます

そもそも、「学校」はなぜ必要なのでしょうか

世界を見渡すと、シリア等の多くの難民を生み出した紛争、
テロ、貧困などの渦中にあって「学校」を失った子供たちの姿
その子供たちに何とかして教育機会を、という活動があります

一方で、そんな危機のない恵まれた日本のような国では、
学校はあって当然。大半の親は、学校に通わせるのは親の責任
であり、不自由なく学校で学ばせたいと思っています

ただ子供たちの方は、その境遇に感謝し、目を輝かせて学ぶ
一部の子供もいるでしょうが、大半は学校に通うのが普通だから、
当然だから、通っているだけ

「健康」や「家族」と同様、「学校」も失ってはじめて、
その大切さが身にしみる、ということかもしれませんが、
そう達観し、静観しているだけでは何も変わりません

教育内容のリニューアルにとどまらず、一人ひとりの子供たちの
心を動かし、目線を上げ、今よりもっと良い世界、社会に近づける
者となるために通う“新しい学校像”を模索し、創造する時ではないか

同時に、学校が当たり前に存在する、その学校に通わせている
だけで安心し、依存し、家庭や社会が果たすべき役割(家庭教育、
社会教育)への自覚、責任感が希薄な多くの社会人たち
恥ずかしながら私自身もその一人ですが、この点への対処も含めた
新しい学校の創造活動に取り組み、貢献したい…

あ〜っと、そろそろ、明日の仕事の予定が気になりはじめました
大きな思考が…